静岡県議会議員 野崎正蔵(のざきしょうぞう)公式サイト・のざき正蔵の県まで届け!磐田の声

ライフステージと学び「人は何処で何を学ぶか?」
2003/08/04


突然燃えつきる「いい子」
「なんであの子が?」頻発する事件にからんでよく聞かれる言葉である。
こんなこともある。小学校時代はスポーツも勉強も得意で「とてもしっかりしたいい子」と言われた子がある日から学校に行けなくなってしまう。「こんなになってしまうほど問題を抱えているなんて、少しも気づいてあげられなかった」と母親は涙ぐむ。「家庭にも学校生活にも問題のないハズの『いい子』が突然燃えつきてしまう。あるいは、反動的行動を起こしてしまう。こんな事例が近年増えてきているという。
昔のいい子は親や教師の前で優等生でも、大人の知らない子供の世界ではただの子供に戻れた。今のいい子は常に大人の目の届く範囲にあり、子供らしさを取り戻す機会を得ず窒息状態にある。との指摘もある。
自分の生き方を何処で見つけるのか
日本の大学で学ぶある留学生は「日本人の同級生に『なんでそんなにまじめに勉強するの』と聞かれ耳を疑った」「学費や生活費も親持ちで、小遣い稼ぎに走り回る日本の学生達を見て、将来への夢をもって努力している人は少なく、考え方も幼く子供に見える」と語った。
こんな話があります。以前の「中学生が今、訴えること」ことと題する全国大会の中での大阪府立盲学校の小学校6年の女子生徒の話である。
毎朝、通学する学校の前に交差点があります。しかし、そこには音声信号がついていません。少女は信号が青になる気配を感じると、毎朝必ず1人の女の人が「私の手を取って『さ、渡りましょう。気をつけてね。段差があるのよ』って、私を手助けして信号を渡ってくれました」少女は「なんてこの人は優しいんだろう。私に優しくしてくれるんだろう」と思って信号を渡っていました。
ある日、少女は学校の先生にこの事を「毎朝どこの女の人か知らないけれど、優しくしてくれて、私は嬉しいの」と話をします。少女の話を聞いた先生はこう言います「良かったね。今、優しいって言ったよね。優しいというのは、もう少したったら点字で習うかもしれないけれど、優と書くんだよ。その優の字は人偏に憂える。人を憂える心。そういう意味なんだよ」先生にそう言われて少女は突然泣き出しました。
少女は「今、訴えること」の中で、この話をして次のような決意を語ったと言います。「私は、いままでずっと人に優しくばかりして貰って、たった一人の人間にも優しくしてあげたことがことはない。私は、それでは優しい人間になれない。優しくされてばかりいて、だれにも優しくしてあげれなかった。これで私の人生は終わるところだった。ヨシ!今日から英語を習おう。今、盲人がいちばん苦労しているのは、英文の点字が少ないことだ。それは、打つ人が少ないからだ。だから、私は一生懸命英語を勉強して、英文の点字のナンバーワンになろう!」と。
人が生活し生きていく上で、分からないくらいたくさんの情報(出来事)がある。それを何かの契機を得ることで、自分がその情報(出来事)の主体となっていくことがある。「気づく」ということであろうが、これを説明するにはチッョと難しいが実態としてこういうことが「ある」ということは確かである。
人のライフステージと学び
「今の日本人は、1歳から50歳まで1回も自分のライフステージを持たないでいる。日本人の生涯というのは、準備段階の総計だ」という指摘がある。
幼稚園は小学校に入るための準備段階。小学校は中学校の、中学校は高校の、高校は大学の、大学は会社に入るための、会社に入れば、課長になるための準備段階だと・・・。
人は成長段階において様々なステージの中で感性や知性・人間関係・哲学・技術等を学び磨いていきます。これには多少面倒でも物事に「関わる」ことが大切である。
物事に対して希薄であるほうが「面倒でもなく、余計なことも考えなくてもよいし、わずらわしくもない」しかし、こうした中で「実体のない息苦しさ」を訴える人もいるという。
成長とは「わからないことがわかるようになる」ことであったり「できないことができるようになる」ことであるとしたならば、物事に対して主体的に関わることは欠かせない。そこで自分なりにハット感じる事。なるほどと思うこと。こうした契機を創る事。今、それを掴めるステージを一人ひとりが持つことが大切だと考える。
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